2019.12.24 | クリスマスイブ
イミテーションのひかり
イルミネーション、見に行かない?
それだけだ、ただそれだけ。もう文字入力までは終わっている。あとはただ、送信ボタンを押せばいい。
(……。それができたら苦労してないんだよなぁ)
それさえできればかれこれ2週間も悩んでいないし、なんならすでに彼女とお付き合いまで進んでいる。バカだ。とはいえ図々しい男だと思われたら? うざったいと思われたら? 嫌われたらどうする? というか、もうすでに予定が入っていたりして――なんて思うと、途端に親指が硬直する。時間が経てば経つだけ人気者の彼女の予定は埋まっていくんだろうことも、苦しいほどわかっているのに。
(イルミネーション、見に行かない――ねえ今年のイルミネーション、すごく凝ってるんだって――SNSで話題になってるんだけど、一緒に――ああ)
心臓が痛い。上滑りする思考回路ではこのどれが正解かだなんて、判断もつかなかった。
後日彼女と『はじめて』見る予定のイルミネーションツリーを、ひとりで見上げる。
夜空の星すべてが降ってきたみたいに通行人すべての目を奪って、この場のなによりも明るく輝いている。よかったな、と独り言ちた。
今は彼女がいないから、こうして美しく輝いていられる。彼女がこの場にやってきたら、おまえなんてすぐに霞んで、ぼやけて、滲んでしまうのに。
指先と指先を顔の前でくっつけると、熱い吐息がこもって頬を撫でる。さすがにすこし寒くて、骨の髄が震えていた。
(……もう帰ろう)
「いいじゃないですかぁ、少しくらい!」
「うわ」
耳をつんざく突然の大声に、びくりと肩が震える。時刻は23時すぎ。あれはどうやら女の酔っぱらいで、いわゆる逆ナンというやつだ。
テンションの振り切った音源を横目にうかがうと、細身の美丈夫が、あいまいな笑みを浮かべている。
「こういう出会いもアリじゃないですか? 飲みましょうよー夜はまだまだこれからですよっ」
「ごめんなさい。また次の機会にね」
「えー!」
適当な相槌を打ちながら、手を持て余しているのがよくわかった。わかるわかる。ああいう軽薄なのは俺も苦手。ともあれ、万が一こっちに被弾する前にさっさと逃げてしまおうと足早になったのに、うっかり。
「……」
『彼』と目が合ってしまった。まばたきをたっぷり3回分見つめあって、堪えきれずにため息をつく。あー。あー、もう。
「……やだなあもう、こんなところにいたんだ。探しちゃったじゃーん」
いつも通りにへらへら笑いながら、彼――間宮さんと酔っ払いの間に割り入った。こんな感じだろうか。モッズコートの肩を押してさりげなく酔っ払いとの距離をとらせると、間宮さんは一瞬ホッとしたようだけど、それをあからさまには表情に出さない。そういうところはすこし、尊敬してもいい。
もう片方の手で端末を操作して、さりげなく、お目当てのアプリを起動する。
「ねぇ、はやく帰ろ? “クミ”なんてすごい剣幕だよ。はやくしないと料理が冷めるとかいって……うわっ」
やかましく振動するスマホ。あからさまに動揺した俺は慌てふためきながら、全員にそれがわかるようグイと突き出して見せた。
「やばい、噂をすれば……。これ電話! 出て!」
「ええ!?」
クミ。明らかに女性名がでかでかと表示されたディスプレイを見て、さすがに場の全員が空気を読んだ。
「あの、私はこれで……!」
逃げるように去っていく女の背中を見送ってから、彼はやっと胸の中の息を全部抜くみたいな吐息をもらす。
だいぶ乱暴ではあったけど問題が去ったことを確認して、端末の振動を止めた。酔っ払いで助かった。
間宮さんは興味深そうに画面を見ているけれど、ただのフェイク着信用アプリだ。アプリの起動から一定時間後に、設定した名前からの着信があるように『見せかける』だけの。
そもそも従弟の名は巧であって、クミではないし。
「ありがとね納西くん。助かっちゃった」
「いえいえ」
そういえばいつもとすこし雰囲気が違うと思ったら、いつものメイクをしていない。ついでにいえば髪型も服装も普段よりずっとラフだし、今日は完全にオフの日らしかった。
「どういたしまして。でもあのくらい、間宮さんならサッとかわせたんじゃないですか?」
「それがそうもいかなくて……。さっきの子、店のお客さんなの。マイナスに思われたくないじゃない」
「あ、なるほどね」
「今日はすこしお酒が入ってるようだし来店も一度きりだから、あっちは気づいてなかったみたいだけど。でも名前を呼ばないでいてくれて助かったわぁ。それで思い出したらたいへんだしね」
「ふうん……うん?」
一度きり。そんな相手を憶えているだなんて。
さすがに驚いて動作が止まると、察しのいい間宮さんは楽しそうに笑った。そりゃあお仕事だもの、と唇を尖らせる所作は、メイクなんてなくてもいつもの彼そのもので。自分に自信があるタイプの人間は、こういうところにすら片鱗がのぞくから苦手だ。
「立ち止まってくれてありがとう。本当に本当に、助かっちゃった。今度お礼するわね」
「別に大したことじゃないので。というかこう熱心に感謝されると、なんか……なんだろう。変な感じだから」
巧もそう。なんだかんだ灰崎くんだってそう。この手の人種はどうしてこう、ストレートにものをいうんだろう。惜しげもない笑顔や言葉を渡されると、なにを返していいものか悩む。
「本当に感謝してるのに」
「もうわかってるから大丈夫ですよ……」
「わかってなさそうだからいってるのよね」
性格の根っこのところから違うんだろうな、とぼんやり思う。でもきっとこれが、自然と誰かに愛される人間なんだろう。きっと。
「あらやだ、もうこんな時間! はやく行かなくちゃ、クミが拗ねちゃう」
「あ、本当に会う予定あったんだ?」
「そうそう。共通のお友達がいるんだけど、その子と3人でクリスマスパーティでもどうかって――よし」
「あはは。……うらやましい。楽しんでくださいね」
ひらひらと手を振って、表面上あっさり別れる。颯爽と前に向かって歩くさまは自信に満ち満ちていて、イルミネーションの光のせいなんかじゃなく、どこを見ても眩しかった。彼は輝いている。それなのに俺は。ぼくは。
自覚からすこし遅れて、ざわざわと血の気が引いていく。無意識に動く足に任せ、宛てもなく歩き出した。
メッセージアプリを起動して、ずっと開きっぱなしの彼女のトークルームへ。ごちゃごちゃダラダラ書いた文章は全部消した。まっさらに。虚勢を張って虚飾で飾り立てるしかない自分に嫌気がさすけれど、どうしても捨てられない。根本を変えられない。
「……」
すこしでも真似して。すこしでも違う俺になって。そうでもしないとこうやって、俺の知らないところで埋まっていく彼女の予定を奪い取ることなんてできない。できない。できない。なかば脅迫観念に支配されつつ、俺というキャラクターにおいて大正解の単語を組み合わせ、一文を作成する。
『ねえ、イルミネーション見に行こうよ!』
震える親指でも、送信ボタンを押すくらいはできた。