2020-09-25 | 特別ショートストーリー
ビタースウィート・マイ・ハート(part1)
格式高いバリアントの家に生まれた一人娘のフロウに、何かに不自由した記憶はなかった。
才も美も、あらゆる教養と手入れを施され、手厚く丹念に育てあげられた。それに見合う完璧な仕上がりとなった自覚があった。自分を高める行為は好きだったし、それができる家に生まれたことに満足もしていた。
もともと地位のある家ではあったが、そこに加えて裏社会――ヴィラン組織とも繋がりを持つことで、より絶対的な権力を掌握している、という具合に手段を選ばない家でもあった。
犯罪組織『ヴァーテックス』へとフロウが組織入りしたのも、少なからずその繋がりによるものだ。
(だからといって厚遇はされないし、そこがフロウも気に入っている。)
まだ組織入りして間もないフロウは事務方に配属され、先輩の女性構成員たちのもとで指導を受けた。
だがその教育期間も数日で終わりを迎える。教養を身に着けることに慣れていたフロウにとって教えを吸収することは容易く、すぐに仕事をこなせるようになってしまったからだ。むしろ、先輩構成員のミスに気づいて指摘したり、ことが円滑に進むよう先回りして業務をこなしたりと、フロウのほうが仕事ができてしまうありさまだった。
こうなると、彼女たちとの間に溝ができるまで時間はかからなかった。高慢で自尊心の高いフロウ自身の性格もそこにいっそう拍車をかけた。
実力と結果だけが物を言うヴィランの世界は自分の肌に合っていると思っていたフロウだが、その実力に嫉妬してやがて嫌がらせをしてくるようになった女性構成員たちを前にすると、考えを改めたくなった。
今日も、仕事をわざと残して自分たちだけさっさと切り上げていった彼女たちに、フロウはもはや呆れることすら面倒になってため息をついていた。
「はぁ…こんな幼稚な世界なら、間違いだったかしら。ヴィラン組織に入るなんて」
しかも備品の補充分を保管庫まで運ぶという力仕事だった。肉体労働は嫌いだが、仕事に穴をあける不快感のほうが勝る。仕方なく、山積みされたコンテナの一つを両腕に抱えては、台車に積んでいった。
それを何度が繰り返していたときだった。
「その量、一人では無理だ。手伝うよ」
それが自分に掛けられている声だと遅れて気づいて、フロウは背後を振り返った。
そこにいたのは銀色の髪をした青年だった。白い衣服に身を包み、黒目に金の眼光が浮かんでいる。
社交界の経験もあるフロウは見かけのいい異性には見飽きていたが、それでもこの青年の整った顔立ちは比類がないと思った。殺伐としたアジト内においてそんな彼の姿は場違いにさえ映る。腰に携えられた剣がなければ構成員ではなく来客と勘違いしたかもしれない。
「どこに運べば?」
「保管庫ですが…」
「そうか」
親切をしてきたにしては淡白な態度だった。彼はコンテナを台車に積み、まだ積めるはずだがいくつかは自分で抱えて歩き出した。
やや呆気に取られつつフロウもまた台車を押してその隣を歩く。軽くはない重量が腕にかかった。彼が持ってくれなければ動かせなかったかもしれない。
移動している間、すれ違う女性構成員たちの視線と黄色い声を浴びた。当然彼に対してのものだ。
(ふーん。ヴァーテックスにこんなバリアントがいたのね)
いわゆる王子様的存在だろう。見た目がいいだけなら掃いて捨てるほど見てきたフロウにとっては、関係のない話だが。
「誰かと手分けしないのか」
「え?」
こっそり値踏みしていると、ふいに彼の視線がこちらを向いた。
「君、配属されたばかりだろう。見かけない顔だから」
「ええ…先日組織入りしたばかりですの」
「この荷物は君の仕事? だとしても明らかに一人で運べる量じゃない」
「ああ…だから押し付けられたんですのよ」
オブラートに包んでやる義理もないので、フロウは彼女らの嫌がらせをそのまま口にした。
「それに、仕事のできる新人をやっかんで足を引っ張る先輩方なんて、いるだけ邪魔ですわ」
明らかに新人風情がしていい言動ではないが、別に咎められても構わなかった。
だが、予想に反して彼は頷いた。
「ああ、いるよね。そういう馬鹿」
むしろ彼のほうが侮蔑をあらわにするので、思わず目を見張る。
「ヴィランは血の気の多い奴ばかりだから、どうしても頭の悪い連中の集まりになってしまう。僕も毎日頭痛がしてるよ。君のような優秀な人材が、連中に合わせてやる必要はない」
「そう…思いますか?」
「ああ」
整った顔をして淡々と他者を切り捨てる発言をする彼は、それこそとてもヴィランらしかった。
同時に胸のすく思いがした。端的にフロウを肯定してくれた彼の言葉は、思いがけずフロウの鬱屈を晴らし、清々とした気分にさせてくれた。
保管庫に着き、コンテナを棚へ収めていく。すべての作業を終えると、こちらが礼を言うより早く「じゃあこれで」と言って彼は去って行った。
(…名前くらいは、聞いてもよかったかしら)
短い会話をしただけだったが、それでもなんとなく、彼は印象的だった。